コイル

2008年5月10日 (土)

猫目兄弟の設定

ロマンアルバムのいいところ。オバちゃんにギュウされてモガゴキュしているハラケンの原画があるところ。

惜しかったところ。猫目兄弟の設定絵が少ないこと。裏話はいっぱい出てるんだけどねえ。対比表にもいないから他のキャラとの身長差がわからん。

各シーンから推察するに、宗助はハラケンより頭半分上ぐらい、玉子と並ぶとほぼ同じぐらい。この人細身だけど長身ではないのよね。玉子が女性のわりに高いほうなんだろうけど。

タケル。「駅向こうの少年」の回だとヤサコの鼻より下。だからフミエちゃんと大差ないのかと思ってハラケンと頭一つ差で描いていたが、今日再放送の「黒いオートマトン」で見たらヤサコのデコの高さぐらいになっていた。背、伸びたの?まー成長期だからねー、夏休みで5センチぐらい伸びたっておかしくないか。

それから、8日記事の結論。

ショタスクラッチは見送り。決めかねたまま、いちおう参加費の振込先をPHSに送ってから家を出て、昼休みに入金できたら参加しようと思っていたら、ランチに入った店で会社の人につかまって断念。「振込ありますから」で逃げたってよかったのだけど、その人の顔を見たらあきらめるほうに天秤が傾いた。夏コミに向けて準備するさ。その前に充電しないと枯れる。

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2008年4月20日 (日)

今日、また、生まれて初めてのことをした

アニメージュを自分のお金で買った。某所でハラケン特集があると聞きかじったので。

ハラケンのためならどんな領域も不可ではなくなるなあ。フィギュアが出たらどんなに出来が悪くとも買っちゃうんじゃなかろうか?アニメ雑誌を買ったのだっていったい何年ぶりかわからない。

自分の金で、というところを強調するとまるでわたしが周囲から搾取していたように聞こえるだろうか?(そりゃ、弟の買ってくる雑誌は全部横から読んだよ?)

わたしはアニメディア派だったのだ。これを言うと年というか、世代がモロバレなんだが、わたしがアニメ雑誌を買い始めたころのメージュはナウシカ教だったし、アウトはマニアックすぎるし、ニュータイプはガンダムばっかりで、いちばん思想の偏りがなかったのがアニメディアだった。(と、少なくとも当時のわたしは感じていた)だから、アニメディアは友だちに見せてもらっていた。友だちとそれぞれが買っている雑誌の回し読みなんて普通でしょ?

肝心の特集は見開き2Pだったけど、「最後の夏休み」のレイアウトとシナリオが少し入ってたからいいや。(コイルキャラを1回ずつ紹介するコーナーらしい。出版社同じだからね。てことはいつか猫目兄弟も…)それにしても指定の細かいこと。主人公が女の子二人で、女性向け萌えアニメでもないのに、男性の監督さんがここまでこだわるのも珍しい。

しかし、タイトル脇の紹介文「ヤサコにとっての王子様」てのは違くね?ハラケンはヒロイ…いや、ヤサコの王子様は4423だろうに。もし神社で会ったおにいちゃんなら運命的だわとは言ってるけども。

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2008年4月16日 (水)

下手な考えは休むよりヒドイ

暫定本の原稿から採用できるものは採ってしまったほうが楽だろうと、一枚スキャンしてみた。メッシュ以外真面目にトーン貼った上に削りまでしてる。あの晩のわたしは何を考えていたんだ?

Neko5結論。大筋使えん!

使えない理由

1.コピックで色付けしているのが裏目に出た。抽出してハーフトン処理をかけてもいいんだが、面倒だしそういう目的で塗ってないからけっこうムラがある。

2.ベタのムラ。元のペンの濃淡と、コピーのトナーのムラと。ドットで潰すのメンドくさ…。

3.トーン。アナログ入稿なら潰れてくれる主線やベタに重なったトーンをスキャナーが拾ってしまっている。こういうのも印刷時には消えるのか?グレースケールってことは無理よね。

半端にアナログから入れこむより白原稿から処理したほうが早そうだ。トーンは最低限、手持ちのパターンで差し替えられないもののみだな。ベタも塗るべきではなかったんだが、当初はアナログ入稿予定だったから仕方ない。

タチキリの端を切り落としたりしなければアナログで入れ直すこともできたのに。

仕上がり形式が迷走するとどうしようもない。

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2008年2月 1日 (金)

ウラバナシ

ごたいそうなネタはないんですが、今日の記事に「かいせつ」を入れると、本体より上に来ちゃうので、かいせつは本体記事に追加。

エー。実は、ほろ酔いのイキオイでした。どんな酒癖だよ?読み返したら頭でっかちで見難いのでちょっと直しました。素面でカクニンしてから出さないといかんです。

漫画描きさんが現在進行中の原稿に煮詰まると落描きするように、小説書きも煮詰まると別の話を発作的に書き散らかしたりするのです。

「電脳コイル」は、最初なかなか「それっぽい」文章になってくれなくて、イメージ出しのために、断片的な場面をいくつか作っています。文章化したものと、頭の中で構築したものと。現在連載中の「玉子、激昂ス」の原型もそれです。

「bookend」はHARUコミ用に考えていたハラタケネタから派生しています。それを先に出しちゃってどうするのかしら?本体のハラタケネタは、わたしの中でまだゴーサインが出なくて、出たとしても、この場面は割愛されてしまうという予測と、横組みでなければ「bookend」の文字のイメージが出にくいという判断で……

いえ、やっぱり酒のイキオイでした。

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2008年1月31日 (木)

突発SS

bookend

 

 

 タケルの姿を見たのは10日ぶりだった。失踪したお兄さんを探しながら学校に通うタケルは、早退や欠席が多くて、退屈な授業に飽きて窓の外をふと見おろすと、ランドセルを背負ってひとり遠ざかっていく影が目にとまることが何度かあった。

 ああいう噂ってどこから広まるんだろう?

 --これまでに起こった現象の犯人はあいつの兄。悪いのはあの兄弟--

 ヤサコもフミエも、黒客でさえ、あの事件に関わった人間はだれもそんなことをしゃべっていないのに、タケルの周りには遠巻きに白い目で見る輪ができあがっていた。天沢勇子が転校して、それまで天沢の悪口ばかり言っていた子どもたちが、同じ口で天沢をかわいそうがり、天沢にぶつけていた敵意をタケルに投げている。中にはほんとうに物を投げるヤツもいる。

 それでもタケルの背中はいつもぴんとまっすぐで、だから余計にちいさな後姿が気になっていた。

 

 

 その公園は、ちょっとした高台にあって夕陽が沈むのがよく見えるから、子どもたちの間では「夕陽公園」とあだ名がついていた。ぼく原川研一が「夕陽公園」を通りかかったとき、タケルはたったひとりで、ベンチのはじっこに腰掛けていた。そこはちょうどぼくがタケルのお兄さん--ソースケさん--と話したベンチだった。

 ぼくは人に話しかけるのが苦手だ。きっと、タケルもぼくとは話したくないはずだ。けれども、夕焼けの中にぽつねんとしているタケルを置いていくことがどうしてもできなくて、ぼくはタケルが座っているベンチの反対側のはじっこに腰掛けた。

 タケルはぼくに気づくと身体を横に向けた。ぼくもタケルから身体を背けて、背もたれに脇腹をくっつけて座っている。

「離れろよ」

 顔が見えなくても、ぶすっとしているのがわかる声だった。

「これ以上離れたら座れない」

「ベンチなら他にも空いてるじゃないか」

「でもここも空いてた」

「帰る」

 タケルは立ちあがってランドセルを背負いなおした。

「このベンチだったんだ。君のお兄さんと話したの」

「知ってる」

 だから座ってたのか。

「ヤサコが心配してた。休み時間に行っても全然会えないって」

「会わないほうがいいから」

「なぜ?」

「みんなの輪から浮いたヤツにかまうと、かまった人間もハブられる。常識だろ」

「クラスちがうし…」

「お前のクラスにだって元・一小の人間はいるだろ?」

 タケルはがたんとベンチに座りこんだ。振動がぼくのお尻にも伝わった。

「別に、平気だから。ひとりは慣れてる。よく…兄…ちゃんも…帰ってこないことが…あったし…」

「うん。ぼくもひとりでいるの、好きなんだ」

 孤独〈ひとり〉は怖くない。

「ならお前もぼくにかまうな」

「うん…」

 でも、孤立〈ひとりぼっち〉は辛い。

 こうして話しているすこしの間にも夕陽は沈んでいく。ぼくたちが座っているベンチの影も薄く長く延びていく。

 あ、この形…。

「ねえ、えーと…」

「タケルでいいよ。ヤサコたちと話すときはどうせそう呼んでるんだろ?」

「はは。じゃあタケル、ブックエンドのスペル、言える?」

「急にそんなこと聞いてなんなんだよ?b・o・o・k・e・n・d だ」

「あれ、逆だと思わない?」

「逆?endbookだったら本の終わりって意味になっちゃうじゃないか」

「ちがう。bとdが」

「bとd?それじゃあ単語にならないよ」

「だってついたてのbとdが向かい合ってたら本立てとして役に立たない。ずっと思ってたんだ。"dookenb"のほうが、本立てにふさわしい形じゃないかって

「バッカで…」

 タケルのランドセルがかちゃかちゃ鳴っている。背中合わせで見えないけど、たぶん、笑ってる。

 夕陽は半分沈んでしまった。

 ねえ、いまぼくたちの座っているベンチの影が、ちょうど"dookenb"の形になっているの、気づいてる?

「背中合わせのほうが中味がこぼれないから…」

「うん…ぼくもそのほうがいい」

 タケルはまた立ちあがった。

「もう日が暮れるから帰る。学校では話しかけるなよ」

「なるべくそうする」

「研一も帰れ」

「うん。え?」

 ケンイチ。友だちにそう呼ばれるの、カンナ以外では初めてだ。振り返ると、タケルは右手をひらひらさせて夕闇に消えていった。やっぱりその背中はまっすぐに伸びていた。

 

 

 タケルの背中から、強さや思いやりや、大事なものがこぼれないように、ぼくの背中は君に真後ろに向けておこう。背中合わせのブックエンドのように。

 

                              --終--

[かいせつ]

 柴門ふみ作の中篇漫画「ブックエンド」で、主人公の幼馴染みの病弱な女の子が「bookend」という英詩を黒板に落書きする場面がありました。詩文は覚えていないのですが、ベンチの端と端に腰かける2人をブックエンドに喩えた内容でした。

 ほんとうは、bookendのbとdが向かい合うことでお互いを支え合うといった意味で使われていたはずで、bとdが逆になったほうが本立てっぽいというのは、筆者の穿ちすぎた考えです。

 ですが、タケルとハラケンなら、正面から向き合うより、手をいっぱいに伸ばしても届かない距離で背中合わせでいる関係のほうがらしい感じがしました。宗助を間に挟んでも、ヤサコを間に挟んでも、素直に重なり合うことはなさそうな2人です。(2月1日追加)

 

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2008年1月24日 (木)

わたしのユウコちゃん(後編)

当時、わたしは塾講師をしていた。塾は駅向こう(またか!)の入り組んだ五差路を抜けた住宅地にあって、自転車で20分ほどの距離にあった。

ユウコちゃんを見かけた日も夏期講習のために夕方に家を出た。個人経営の塾で特に服装の規定はなく、授業のテキストが入った鞄だけをかごに入れ、ごく軽装で自転車を飛ばしていた。ところが、いつものルートをたどり、線路下の通路を抜けて中間地点を過ぎたころ、急な夕立に見舞われてしまったのだ。

雷鳴は遠い。が、雨粒は当たると肌にかすかな痛みを感じるほど大きく、視界が煙るほどの激しさでアスファルトを打ちつけている。線路をくぐってから塾までの間は裏道続きで、コンビニが1軒もなく、雨宿りできる場所もない。折り畳み傘もビニール合羽の用意もなかったが、持っていたとしても到底凌ぐことはできなかったであろう。

塾に到着するころには、全身濡れ鼠であった。髪の毛は塾がもらった配りもののタオルを借りて拭ったものの、雨はいまだ止まず、始業時間は迫っているしで、家に帰ることはできない。かと言って、足音びちゃびちゃ、動けば飛沫がボタボタのホラー映画状態で教壇に立つわけにもいかない。

休講はもってのほか。どうしたものか。講師用の備品が置いてある部屋でタオルを使いながら困窮したわたしの目にとまったのが、講師共用の白衣であった。この塾は理数系専門塾から出発しており、白衣だけは数着常備されていたのである。

もはや他に選択肢はなかった。

教室に入ってきたわたしの姿に生徒は全員目が点。文系講師のわたしが白衣を着てきたことなどこれまで一度もなかったし、いくらクーラーをつけているからって、真夏に前ボタンは全部しっかり締めているのは明らかにおかしい。幸いにして担当が高校生女子クラスだったので、エロい保健体育に内容が変更されることもなく、1回分の課題はとどこおることなく終わらせらることができた。

シャツを干すような場所もなかったし、夜だからと帰りも白衣のままで自転車に乗った。自宅まであと数百メートル、このままだれにも見つからずに済むなと油断したとたんにユウコちゃんに遭遇してしまったのだ。

ユウコちゃんはわたしに気づかなかったはずだ。が、わたしがすぐに彼女のことがわかったのと同程度に、ユウコちゃんもわたしに気づいていた可能性は高い。昔の知り合いに会うと必ず変わってないねって言われるから、あるいは…。

もし、そうならば、ユウコちゃんのわたしに関する最後の記憶は「変な格好をして夜中に自転車で徘徊していた女」になるわけで……気づかれていないと信じたい。

昨日の記事の冒頭で、あちこちに書いたネタの寄せ集めと表現しているが、この事実関係にフィクションはない。時系列で全て列記するとこうなるのである。念のため。

後編と言いながら、ユウコちゃんとは関係ない話に展開してしまった。カテゴリーが「コイル」にしてあるのも違う気がする。

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2008年1月23日 (水)

わたしのユウコちゃん(前編)

以前、あちこちのBBSにまいていたネタを寄せ集めた話なので、どれも聞いたことがある、という方は申し訳ない。

冬コミ本のあとがきにも書いたが、わたしの5歳下の弟は名前に「ケン」がつく。これまた偶然ながら、彼の幼稚園の友だちに「カンナ」ちゃんがいて(いまでもお元気なはず)、ゆえに愚かにもハラケンと重ねるなどという大錯誤を犯したが、それは断固完全撤回するとして、さらにもうひとつ、わたしには、小中学校のころに仲良くしてくれた友だちに「ユウコ」という名前の子がいる。漢字は「優」のユウコちゃん。

わたしが妙に「電脳コイル」に反応してしまったゆえんはこの辺にもあろう。

わたしは、こう見えてずっといじめられっ子で、いちばん状態がひどかったのが5年生のとき。幼心に死んでやろうかと思い詰めるまでに至っていた。わたしが最後の階段を駆けあがり、向こうの世界に飛ぶ直前で助けてくれたのが同じクラスのユウコちゃんだった。

えてしていじめられている本人は、親には決してその事実を言わないもので、母も勘付いていながら黙っていた。見かねたユウコちゃんが自分のお母さんに話し、ユウコちゃんのお母さんがPTAに図ってくれて、わたしはいじめから解放されたのである。いじめられている本人の親からの訴えならば感情的にこじれるところを、友人の母親からの発言ということで、かえってクラス全体で真摯に受け止められ、一度の会合で解決をみたのは幸運だった。というよりも、ユウコちゃんとそのお母さんの聡明さに助けられたのである。

わたしはいましか見たくない人間なので(嘘。過去をほじくり返すと恥ずかしいことばかりだから思い出したくない)、同窓会に出たくないし、交流の途絶えた友だちと会ってみたいという感興もわかないが、ユウコちゃんだけは、ときどきどうしているのかな、と思い出す。

最後にユウコちゃんを見かけたのは、結婚前の夏の深夜、近所の交差点で信号待ちをしているところだった。彼女は仕事帰りだったのだと思う。横顔を見てすぐにわかったのだが、わたしは声をかけずに自転車でそそくさと走り去った。

なぜならそのとき、下着の上に白衣一枚という、絶対にわたしとは知られたくない破廉恥な格好をしていたからである。

なぜAVの撮影みたいな格好をして自転車に乗っていたかは、長くなったので明日につづく。(連載ばっかりやんけ)

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2008年1月21日 (月)

年が改まっても人心は改まらず

印刷所の〆切を調べてみたら実質あと1ヶ月ぐらいしかなかった。冬コミのときと作業時間が変わらん。ゆえにまた2月いっぱいはリミッターを外すことにした。仕事でボーっとしないようにしないと。

Haratake 整理してたら出てきた。はぢめて描いたハラケン。と思われる子。冬コミ本を書き始める前のうだうだしていたころ、24話放送辺りではなかろうか?雑談しながらなにも見ないで描いたから、ゴーグルつけてるだれかさんにしか見えん。机の上に置いておいたらコーラに見つかって、メールで回された(情報だけ)。よくこれでハラケンとわかったな、むしろ。

タケルくんはちょっと見ながら描いた。で、こっちだけグレーの筆ペンでなぞってる。おしゃべりしながらだから、なに考えてそうしたのか、さっぱり。

いま頭の中にあるのが、ハラケンとタケルのBoy Meets Boyな話。発端から途中までと、たぶんこうオチがつくな、というのは見えているが、山場がない。ぐだぐだトークシーンばっかり。起承転結が不可欠ということでもないが、せめて二人が出会うことによってなんらかの化学変化ぐらいは起こらないとなあ。エロにするにしてもまた%が低そうな。

ネコハラもネタがあるにはあるんだが…。原作のどの時間軸にもリンクしない。いいのかなあ。

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2008年1月19日 (土)

HARUコミ申し込みました

Harucomi 電脳コイル・ネコハラで。テキストいろいろ入れてるのが必死さ全開。

玉子絵のハラケンを流用。

でも、なんでこんな背景にしたんだろう。出ヅラの悪そうなカットだ。デジタル処理は初心者以下のセンスしかない。

開催は3月16日。実質あと1.5ヶ月しかない。

わたしのことだから新刊は何がしか出すであろう。死んででも。モノは、ギャグなのと、エロいのと、こまこましたネタがあって、柱になるネタがまだ…。少なくともハラケンメインは確実と思う。

こんなに萌え狂うなら、本放送の時に出してしまえばよかった。焼けぼっくいの埋み火を完全燃焼させないと鬱積する一方なので、出せるだけ出すことにした。

もう少し少年を書いてみたいのと、自分がショタものを書く場合、メインターゲットが女性なのか男性なのかはっきりさせたい。(もっともらしい建前)

現時点で、その他参加を検討しているイベント

  • 4月6日 絶対可憐チルドレンオンリー : 検討中。参加せずにはいられないはずとか言われてますが、HARUコミと3週間しか間がないのがネック。
  • 夏コミ : 申込予定。オリジナルで。
  • 秋 コナンオンリー : 申込予定。昨年出しそこなった「瑠璃の彼方」をば。

COMIC1-2は日程の関係で見送り。スパコミもたぶん見送り。GWはじっくり腰を据えて執筆時間にあてたい。とか言っててなんかやっちまうのかも。

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2008年1月 4日 (金)

原稿の形式

松の内が明けるのも待たずに昨年の話をするとチャンスの神様に逃げられそう。冬コミの新刊は黒と影社初のフルデジタル入稿でしたので、その辺の話を。

いまだから言うが…もうだれもビックリしないだろうけど…入稿前日の12月22日、メンバーのお誕生日会から帰ってきた時点で、挿絵はトレス前の下絵しか仕上がっていなかった。元々「電脳コイル」の世界は髪の毛をオールベタにすると強すぎる感じがして、エンピツで主線をトレスしてグレーのコピックで色付けする予定だったから、進捗状況としてはぢごく1丁目ぐらいではあった。(結局朝方に新たに1枚描いたから、ぢごくの最涯てを見…)

ただ、この形式で入稿するなら必ずデジタルデータに処理しなければならない。もしくは別料金を払って取り込んでもらうか。

テキスト原稿と絵の原稿が混在する場合、原稿のファイル形式をどう整えるのかは、ちょっと面倒な課題ではある。

テキストデータはワープロソフトの方が処理が簡単で、それをpdf形式に変換するのがいちばん形が崩れない。(原稿をそのまま写真に焼き付ける感じ)photoshopでひながたを作ってそこに1P分量のテキストをPごとに貼りつけることもできるが、私が使っているのが汎用のせいか、禁則処理(、。などが行頭に行かないように自動調整する機能)が思うように働いてくれないし、カット&ペーストの過程で、PとPの間の文字が落ちてしまう可能性がある。

対して、絵の場合はスキャナーで取り込んでphotoshopで処理するのだからeps形式が楽である。

6hp

20hp

(←この2枚はトビラの裏。これはテキスト量が少ないのでphotoshopで処理できるのだが…)

本文中に形式の異なるデータがあるのは、あまり歓迎されない。問い合わせてみると、整えてくれる方が望ましいとの回答。

となると、数が多い方のデータ形式に整えるのが常道で、挿絵もeps形式からpdf形式に変換した。けれども最後の仕上げで間違えちゃって。挿絵は某印刷所のテンプレートを使って同人誌用原稿サイズ(215㎜×314㎜)に、テキストデータはB5サイズ(182㎜×257㎜)にしてしまい…。ギリだし、もう受けてくれないかと思いながらローカル線を乗り継いで行ったのだった。

でも、ちゃんと出来上がっていた。ありがとうございます。

直接入稿したついでに、今後のことを2、3質問してきた。

  • eps形式からpdf形式に変換しても画像の劣化は全くないそうだ。
  • 原稿の大きさは、B5仕上がりならば、挿絵原稿の塗り足し(断ち切り)分上下3ミリを加えた(186㎜×263㎜)に設定すれば、P1枚をpdfデータ1枚として別々に抽出してなくても、挿絵をテキストデータの間に挿入していい。1つのファイルの中に、P5(文①)→P6(文②)→P7(絵①・挿入)→P8(文③)…と一繋がりになる形式である。むしろこの形式の方がページ割を間違えないから、より歓迎されるとのこと。

さらにプラスアルファ。この印刷所でうれしいのは、ノンブルが隠しノンブルでもいいこと。早刷りしてくれるところは、全Pのノンブルを必ず断ち切り内に打つように指定されることが多いが、中表紙やトビラにノンブルが入るのあまり好きではなくて…。

絵草子みたいな本もこれからは可能になりそうだ。

最後に、今回お願いした印刷所。みかんの樹というところ。対応もしっかりしていたし、刷り上りも満足。

http://www.mikan-no-ki.com/index.html

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2007年12月28日 (金)

どうしてもそこに持って逝きたいらしい

考えてみたらさ…

  ハ

  ラ

  ケ

  ン

  も

  少

  年

  探

  偵

  じ

  ゃ

  ね

  ?

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2007年12月26日 (水)

何やってんでしょ

アレだ、原稿がヤバイ時ほど掃除がはかどるの逆。Shotacola ショタコーラ…。

タケルくんはタケルくんで可愛い。

中味は当然チェリーコーク。

ちなみにコーラがリアルにショタだったころの写真にはちっとも萌えんかった。弟の方がマシだと思ったぐらいだ。

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2007年12月22日 (土)

暫定アプ

Kaseihp最終回でハラケンだけ学ランカットがなかったことを恨んでいるわけではないですよ?21話あたりで話は固まってましたから。(ならもっと早…)

何度裏表紙と差し替えて、表紙を捨てようと思ったことか。テキストレイヤーの方が画像レイヤーより多いとはいかがなものだろう。

本文紹介としては正しいのに、間違ったメッセージを発信しそうだ。

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2007年12月14日 (金)

ことばの表記

内容はアニメ設定に従ったが、文章の表記は小説版に近づけようと、主要語彙を書き出してみた。

Photo せめて品詞ごとに紙を変えるべきであった。どこに何が書いてあるんだか。まあ、手書きするとだいぶ頭に入るから、まったく無意味ではない。

少年向け作品のわりに電脳関係の用語で漢字表記が多い分、動詞や副詞はひらがな表記だろうとは思っていたが、一般名詞もひらがなが多い。

よく使うところでは「ひと」「こころ」「ことば」「いま」「もの」。でも「大きい」「下がる」が漢字で「ちいさい」「あがる」がひらがななのはなんでなんだ?「あした」は漢字にすると「あす」と区別がつかないからか。

難しい「嘘」「噂」あたりはルビつき。うっとおしいのでルビは省略。わたしの読者さんは「おとな」だもの。

その表記にしたがって先般の文章を直すとこうなる。

「君は嘘をつくのがとてもじょうずだね」

「え?」

 そんなことを言われたのははじめてだった。

 学校の先生も、親も、ぼくのことをおとなしくて素直な子だと思っている。

 クラスの子からも嘘つきといわれたことはない。

 オバちゃんにだって、ワケがあるときだけへたな嘘をつく子だと思わせているのに。

「君はいままで友だちにいじめられたことも、友だちをいじめたこともないだろう?」

「はい」

 悪いことじゃないから正直にうなずいた。心霊写真ていうあだ名はつけられているけれども、いじわるをされたことはない。

「その代わり、だれかがいじめられていてもたすけたこともない、ちがうかい?」

「なっ」

 なぜこのひとは知っている?

「ぼくがなにかしているところを見たんですか?」

 いけない。こんな聞きかたをしたらほんとうのぼくは嘘つきなんですと言っているのと同じだ。

「べつに。ただ君を見ていたら、なんとなく。僕にはわかるんだよ」

厳密に表記すると「僕」は出てこないが、二人が「ぼく」だと混乱するので、猫目→「僕」 ハラケン→「ぼく」に統一。

コナンのときにも最初にやって、結局だんだん自分の表記に改めていってしまったのだが。

真面目にやると1日潰れる。結局やりきれなくて不統一が毎度残って悔しい思いをしている。読めりゃあどうでもいいと思うかい?

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2007年12月 1日 (土)

同人屋なんてみんな、勝手にぐだぐだして、勝手に本出してるんだよ。

 江川ラン子のぐだぐだ担当に勝手に指名されているばぁびぃさんの言。名言。

 ぐだぐだしておりますよ。はい。悪癖出ておりますよ、はい。

「キミはウソをつくのがとても上手だね」

「え?」

 そんなことをいわれたのは初めてだった。

 学校の先生も、親も、ぼくのことを大人しくて素直な子だと思っている。

 クラスの子からもウソツキといわれたことはない。

 オバチャンにだって、ワケがあるときだけ下手なウソをつく子だと思わせているのに。

「キミはいままで友だちにいじめられたことも、友だちをいじめたこともないだろう?」

「はい」

 悪いことじゃないから正直にうなずいた。心霊写真ていうあだ名はつけられているけれども、いじわるをされたことはない。

「その代わり、だれかがいじめられていても助けたこともない、違うかい?」

「なっ」

 なぜこの人は知っている?

「ぼくがなにかしているところを見たんですか?」

 いけない。こんな聞き方をしたら本当のぼくはウソツキなんですといっているのと同じだ。

「別に。ただキミを見ていたら、なんとなく。僕にはわかるんだよ」

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2007年11月24日 (土)

古い空間にしか存在しない家

 熱が出ていたり、疲れていたりすると、わたしは夢の中で昔住んでいた家に戻ってしまう。恥ずかしながら現在の家に嫁いできた当初、さすがに慣れない環境で寝つきが悪く、ベッドの位置を生家で使っていた部屋と同じ位置に変えたらよく眠れるようになったという経緯がある。だから、生家に戻った夢を見た日の目覚めは、しばらく自分が生家にいるような混乱がある。

 わたしの生家は、ほんの少しだけ工藤邸に似ていて、正三角形の屋根を持つ洋館風であった。そんな家に住んでいたことがわたしを乱歩作品や探偵小説へ傾倒させたのであろう。その生家はいまはない。わたしが結婚して一年ほどで壊してしまったからである。

 戦中に建てられた家は、外観は洋風でも内装は木造建築であったので、雨漏りの影響で腐食が進んでいた。いつまでも自立しないで古い家にこだわる娘に父は言った。「新しく建て替える家にお前の部屋はないからね」「ああそう」売り言葉に買い言葉に近い受け答えの末、わたしは結婚に踏み切った。父とて、本心娘を邪険にしていたわけではない。結婚も建て替えもするべき時期に来ていただけのことである。父はこのやりとりを忘れている。しかし、この言葉がその後のわたしと家との関係を象徴しているように思う。

 わたしの結婚を皮切りに、家族は崩壊の危機に見舞われることになった。

 結婚してわたしが家を出た翌年、家を建て替える処々の手続きも順調に進んでいる最中、母が突然別居を宣言した。父の設計図には母の部屋も用意されていたのに、母はそれも拒絶した。そして、建て替え工事着工のどさくさで、当時飼っていた犬が四歳という若さで逝った。獣医の診断は糖尿病で、いずれ長い命ではなかったろうが、歯が抜けるごとくに家族が消えていく寂しさで殺してしまったように思えてならない。折悪しく弟が長期の海外旅行に行った直後で、彼もそのことは気に病んでいる。

 家を壊すということは、すなわち家族を壊すということでもあるのだな、とひどい喪失感に襲われたことは家族には話していない。当時コーラとの関係も悪化していた時期であったから、相当に追いつめられ、わたしに帰る家はないという孤独感もいや増しになった。

 それから、平成の大合併に飲みこまれ、住所もわたしの住んでいたころとは変わってしまった。番地と町名は変わらないから、いまでも昔の宛名で手紙が届くのかもしれないが。家のある場所も、表札も変わらないのに、最後の角を曲がっても三角屋根の光景には出会えない。わたしの育った家は現実からは完全に消えてしまったのである。

 きれいに建て替えられた家にはわたしの匂いはない。里帰りをしても家に帰ったという気持ちにはなれないので、長居もしない。

 家族の中で喪われた生家への憧憬をこれほどに強く抱いているのはわたしだけであろう。心が弱っている証拠と知りながら、寝こんでいる時にその家に戻れないと寂しくもある。

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